神戸バイブルフェローシップは、あらゆる方々に、聖書の教えをよく吟味するように勧めている。 また、いくつかの聖書の教義を私達の信仰の中心的なものと考え、また、それらが私達の働きのすべての部分における誠実さを保持するために非常に重要視している。神戸バイブルフェローシップは、使徒信条やニケ-ア信条等の、歴史的に重要な教会の信条を重んじる。
「聖書」
聖書は神の霊感によって書かれたものである。聖書を構築する66の書簡は全く信頼に足るものであり、また真実である。聖書は私達の人生、信仰、また教会の方向性にとっての中心的な権威である。 (第2テモテ3:16、マタイ5:18)
「三位一体」
3つの人格が永遠に神性を共有している。聖書はこの3者を、父、子、聖霊と表している。神は御自身のみで存在される方であり、また人格を持っておられる。 (ヨハネ14:10、26、15:26)
「イエス・キリスト」
イエス・キリストは完全に神であられ、また完全に人間であられる。罪のない人生を歩まれ、人間の数々の罪の為に死なれ、また3日目に肉体をもって甦られ、天に上られ、王として、また裁きを為すものとして再臨される。 イエス・キリストは、神が人間に御自身と和解できるようにと与えて下さった唯一のものである。また、イエス・キリストの地上での人生はクリスチャンの人生の模範となる。 (ヨハネ14:6、使徒4:12)
「聖霊」
聖霊は神である。この方は、私達がキリストを信じた時に私達のうちに住まわれる。また私達が有意義なクリスチャンとしての人生を歩むことができるように力を与え、救いの確信を増し加え、励まし、神に喜ばれる充実感溢れる人生を送ることができるように私達に力を与えて下さる。 また、聖霊はひとりひとりのクリスチャンが教会とこの世界に仕えることができるように、様々な霊的な能力を与えて下さる。
(ヨハネ14:16、エペソ1:19-20、第1コリント12章)
「救い」
救いは、イエス・キリストのあがないの御わざをとおしての神との和解である。 神は私達にただ恵みによって救いを提供して下さり、私達は、それがイエス・キリストの完全な働きであることを個人的に信じることにより、それを贈り物として受け取る。神の御前に立つというこの権利は、ただ受け取るものであり、けっして自身の努力によって勝ち得ないものである。神はすべての人に救いを無償で提供して下さり、それゆえに私達の救いは確実なものである。
(エペソ2:8-9、ローマ8:38-39、エペソ1:13、2:4)
「人間」
人間は、神の似姿に造られている。そのために私達人間は他の被造物の中にあって全く異なる性質を保持する。神が人間に与えられた自由意志を濫用したことにより、人間は神に背を向け、これが結果としてすべての人間にとっての霊的な死をもたらした。人間は追放者として生活せねばならず、また、キリストを通して神と和解することによってのみ満たされ得る深遠な必要を抱えている。この和解なしには、すべての者は神の正義の審判の下に立つことになる。 人間は、罪を犯し堕落したのではあるが、神の似姿を保持しており、そのために尊厳があり、また独自性をもつ。神は私達を愛していて下さり、私達が神に敵対しようとも、その御手を差し伸べて下さる。イエス・キリストを信じる者は、変化の過程の基礎となるべき新しい性質を受ける。
(ヨハネ3:16、第2コリント5:17)
「教会」
教会は、イエス・キリストによる救いを信じるすべての人々によって構成される。教会はある種の建造物を指すものではなく
聖徒の集合である。神は、すべてのクリスチャンが霊的な生活を、人間関係を通して歩むことを望んでおられる。私達クリスチャンの愛の人間関係は、神のご性質をこの世に示すことになるので、キリストを証しするうえで、非常に大切な要素となる。
教会はまた、救いの知らせをすべての人にもたらすために神が選ばれた道具であり、この宣教の使命は教会の中心的な存在意義である。私達は自分達の置かれている場所で、また世界の他の地域でも、よき知らせを告げ知らせるために存在しているのであり、福音を社会の中で明らかな行動をもって示していくべきである。
(ヨハネ13:34-35、第1コリント12:12-26、マタイ28:19)
「サタン」
サタンは人格をもつものであり、神とその信仰者にとって霊的に敵対するものである。
サタンは教会の働きやクリスチャンの霊的ないのちに積極的に妨害を加える。私達は、この人格をもつ霊的な反対者が現実に存在することを真剣に受け止める。サタンはキリストが帰ってこられる時に最終的に敗北し、裁きを受けることが確定している
(エぺソ6:12、黙示録20章)
「再臨」
この世は、キリスト御自身がもう一度肉体をもって帰ってこられることにより、終結する。その時には、キリストは、人間を正と義をもっておさめるという神の御計画を完了される。 (マタイ24:29-31、黙示録20章)
「肉体の滅びの後」
最終審判の際に、神はすべての人を、それが永遠のいのちであれ永遠の刑罰であれ、永遠の道に導かれる。
イエス・キリストの救いの呼びかけに信仰をもって答えた者たちは、すでに約束されている永遠のいのちを受け取る
(ヨハネ5:24)一方、他の者たちには永遠の裁きがある。 私達は神の恵みとあわれみを受けているので、自分達が
伝え聞いた同じ福音を、個人的に関係を持っている人々に分かち合うことが重要だと信じている。 (マタイ28:18-20)